UOKIYO
魚㐂代
真鶴銀座の新しい旅立ちを願った駄菓子屋。まち住民の方の心に再び灯りを灯す。
担当
真鶴設計室
デビさんとの出会い
はじまりは開成設計室が設計した瀬戸酒造から。ある日その店を訪れたデビット伊藤さんがふとその内装に目が入った。「これだれがつくったの?」と。 瀬戸酒造の店主は我々を紹介してくれた。
さっそく連絡が来ると、だれが担当するかで議論になった。新しい設計室をつくるのか、今ある設計室から誰が抜けていくのか。全くの不透明であった。そこで声を上げたのが、当時3年生だった各設計室のメンバーだ。さらに、AKPとは違う団体でやろうという話になり、団体外の仲のいいメンバーも集まった。
真鶴まちあかりプロジェクトの発足だ。
かつて栄えた真鶴銀座
JR真鶴駅から真鶴港へ向かうと、真鶴港に近づいたところに多くのシャッターが下りた店が現れる。以前は生活で必要なものがその商店街に揃っていたという。精肉屋、呉服屋といった残された看板の様子がその店を閉めてからの時間を感じさせる。
かつての建物を生まれ変わらせることが求められた。しかしただ新しく作り変えるだけでなく、新たな場の提供が必要不可欠だった。そこで元々鮮魚を取り扱うお店であった1階「魚㐂代」を子どもたちが気軽に集まれる駄菓子屋「ウオキヨ」として、そして2階を料理教室をはじめ大人同士の交流が生まれるスペースとして復活させよう、という運びになった。
こうしてプロジェクトを始動していくことになる。
魚㐂代の外観
まちのみんなで竣工を
外部の大学生が施工するだけ、竣工させるだけでは「人の心に灯りを灯す」ことはできない。
また、急に新たな交流の場が提供されても浸透されていなければオープンしてもなかなか人は来ない。急に知らない大学生が集団で朝から連日作業しているのを見たまちの方は不審に思うかもしれない。
そこで「まちの人への挨拶をする」という凡事徹底を大切にした。また、できるだけ町民と同じ視点で真鶴を見れるように、「町民になる」ということに少しでも近づくために、まちをひたすら歩くということも行った
その取り組みとこどもワークショップのおかげか活動をより知ってもらうこともできた。様々な方の応援もあり、自然と声をかけていただけるようになった。
施工をしていく最中、技術・知識・経験が不足している私たちに対し、地元のプロの方々は快く協力してくださった。多大なるご助力のもと、1階には駄菓子屋「ウオキヨ」、2階には料理教室が開ける交流スペースが完成した。
1階全体
Before
After
1階内観
Before
After
2階キッチン
Before
After
2階内観
Before
After